わたしたちの日常には細菌やウイルスなどさまざまな病気を引き起こす原因となる微生物が存在します。このような微生物を病原体といい、この病原体が体の中に入ると私たちは病気になったり、ひどい場合は死んでしまいます。しかし、ヒトのからだには、一度入ってきた病原体が再び体の中に入ってきても病気にならないようにするしくみがあります。このしくみを“免疫”といい、入ってきた病原体を覚えて、からだの中で病原体と戦う準備をおこないます。そうすることで、再度、病原体が体の中に入っても病気にかからない、もしくは病気にかかっても重症化しないようにできているのです。
このしくみを利用したのがワクチンです。
ワクチンを接種することで、わたしたちのからだは病原体に対する免疫を作り出します。ただし、通常の感染(自然感染)のように実際にその病気を発症させるわけではなく、病原体の毒性を弱めたり、無毒化にしたりして、コントロールされた安全な状態で免疫を作るのです。ワクチンはいわば自然感染の模擬試験のようなものです。このようにして、いざ病原体が入ってきたとしてもあらかじめ備わった免疫で退治できるようになります。
ワクチンは自分が病気にかからないようにする、もしくはかかっても症状が軽くすむために接種します。しかし、ワクチンの役割はそれだけではありません。自分が接種することで、自分の身近な人に病気をうつすのを防ぎます。こうした輪が家族から地域、国、世界と広がっていき世界中の人々を感染症から守ることができるのです。国が定期接種を受けるよう呼びかけるのもこうした目的があるからです。中には、予防接種を受けたくても受けられない人もいます。こうした人たちを守るためにもワクチンを接種しましょう。
(1人はみんなのために、みんなは1人のために)
1798年、イギリスの開業医エドワード・ジェンナーは牛痘(牛がかかる天然痘)を用いた天然痘予防の論文を報告しました。これが、科学的に記録されている人類史上、初めてのワクチンです。その後、おおよそ100年がたった1880年代にフランスのパスツール、ドイツのコッホによって微生物に対するワクチンの基礎が作り上げられました。
特に、パスツールは“強い病気を起こすものから弱い病気を起こすものを人工的に作り出してそれをワクチンにする”という考えを打ち出し、現在でも広く普及しているワクチンの原理を構築しました。1900年代には新しいウイルスや細菌が見つかるとともに、鳥の卵を使ってワクチンの原料となるウイルスを増やす製造法や人工的に細胞を培養する方法、組み換えDNA技術などを使って、ワクチンを作り出す技術も進歩していき、次々と新しいワクチンが開発されました。
さらに、古典的な種痘から生ワクチン、そして生ワクチンから不活化ワクチンへと変わり、安全性についても向上しました。1980年にはついに長年人類を苦しめていた天然痘において、WHOで撲滅宣言が言い渡され、これがワクチンによる疾病制圧の最初の例となりました。現在、かつてたくさんの犠牲者を出したさまざまな感染症に対してのワクチンを接種することができるようになり、これらの感染症にかからないことが当たり前の社会になりつつあります。また、ポリオ(急性灰白髄炎)も根絶まであと一歩というところまできております。
また、ワクチンの開発には北里柴三郎をはじめ、多くの日本人が深く関わっています。
ワクチンで防げる病気のことを“VPD”といいます。
Vaccine(ワクチン)
Preventable(防げる)
Diseases(病気)
乳幼児期は病気に対する抵抗力が十分に発達していないため、さまざまな感染症にかかりやすくなります。実際にこうしたものに感染して乳幼児は免疫をつけていきますが、中には、はしかやポリオのように非常に重い症状や後遺症を引き起こすものもあります。ですから、感染症になって手遅れになる前に、かからないよう予防する必要があります。予防接種は感染症から子どもたちの健康と命を守る方法として、最も安全でかつ確実な手段であるといわれています。健康だとなかなか実感するのは難しいワクチンの効果ですが、実は恐ろしい病気から私たちの健康を守っているのです。
しかし、日本では他の先進国に比べて多くの子どもたちがVPDにかかって、健康被害をうけたり命を落としたりしています。この原因には、ワクチン接種率が低いことが挙げられます。社会的な問題として予防接種の必要性と安全性がきちんと伝わっておらず、効果や安全性などのワクチンに対する誤解が多いこと、政治的な問題として他の国では接種できても日本では使用できないものや、ワクチンによっては接種にお金がかかるといった問題も関係しているのです。
生きたウイルスや細菌の病原性(毒性)を、症状がでないように限りなく弱くした製剤(病原体をそのまま使用する)。弱毒化された病原体が体内で増殖するため、ワクチン接種後しばらくして発熱や発疹などの症状がでる場合があります。自然感染に近い状態で免疫がつけられるので、ワクチンの効果がえられやすいです。
培養して増やしたウイルスや細菌の病原体を加熱処理、フェノール添加、ホルマリン処理、紫外線照射の過程を経て、その病原性をなくした製剤。ワクチンによっては、さらにその中から有効成分だけ取り出したものもあります。不活化ワクチンは生ワクチンのように接種後体内で増殖することがなく安全性は高いですが、生ワクチンと比較してワクチンの効果が低いため、複数回の接種やアジュバントと呼ばれる添加剤を入れる必要があります。
病原体(細菌)ではなくそこから出る細菌毒素だけを取り出しホルマリン処理を行って無毒化した製剤。免疫を作る能力を維持する一方で有毒な毒素はありません。不活化ワクチンと同様に複数回の接種が必要となります。
日本では主に皮下接種で実施されています。
他にも経口接種、筋肉内注射、BCGの管針法などがあります。
日本では、ほとんどのワクチンは皮下注射による接種です。
投与部位は、上腕の三角筋外側部または後側下1/3の部分に接種します。乳幼児では大腿部の前外側部に接種することも可能です。
現在、日本ではヒトパピローマウイルス(HPV)、髄膜炎菌、13価結合型肺炎球菌ワクチンの3種だけを筋肉内接種として認めています。また、他にも皮下接種とはなっていますが、アジュバントを含む不活化ワクチンは局所反応が強くでるためなるべく皮下深く(筋肉注射に近いように)接種する医師もいます。
BCGは、管針法(スタンプ法、ハンコ注射)といわれる、上腕の2か所にスタンプを押し付ける方法を採用しています。この方法は日本以外に韓国やフランスなど一部の国で実施されていますが、世界では皮内接種が一般的です。
また、ロタウイルスワクチンは経口投与となります。経鼻噴霧投与は日本ではまだ承認されていませんが、欧米のインフルエンザ生ワクチンで使用されています。
日本で接種できるワクチンには、法律で定められた定期接種と、それ以外の任意接種の二つに分かれています。どちらも基本的にその効果と安全性が認められています。
国や自治体が接種を強くすすめているワクチンです。
法律に基づいて定められた年齢で、定められた期間に接種すれば無料で行えます。
また、定期接種は二つに分類されていて、乳幼児の接種(努力義務)と高齢者を対象としたインフルエンザの接種(努力義務でない)があります。
接種するかどうかは接種する側の判断(乳幼児なら保護者)に任されていますが、決して受けなくていいというものではありません。例えば、任意接種に分類されているおたふくかぜは他の先進国では定期接種の適用になっており、また感染した場合には1000人に1人の割合で難聴になる恐ろしい病気です。
任意接種は有料で、病気に対する治療でないため健康保険が適用されず原則自己負担です。しかし、地域自治体によっては公費で補助しているところもあります。受けるときは自治体や医師に相談しましょう。
日本はワクチン後発国と呼ばれ、海外の国で10年以上前に承認・使用されてきたワクチンが、長く未承認のまま放置されてきた背景があります。これは、日本のワクチン行政に関わる関係者が接種後のまれに起こる重い健康被害を恐れ、制度や審査システムの改善を後回しにしていたからだとされています。近年、予防接種についての法律改正で海外に対する日本のワクチン認可の遅れ(“““ワクチン・ラグ”””)は少しずつ改善してきているものの、まだ多くの点で問題があります。
他の国では接種できても、日本では無料で接種できないワクチンが多くあります。
昔からWHOではHibワクチンや小児用肺炎球菌ワクチン、B型肝炎ワクチンは貧しい国でも無料で接種できる定期接種を奨励しています。そのようなワクチンでさえ、日本では最近になってやっとHibワクチンが2013年(任意は2008年)、小児用肺炎球菌ワクチンが2013年(任意は2010年)、B型肝炎ワクチンが2016年(任意は1985年)から定期接種にかわりました。それでも、先進国では無料化することが望ましいと勧告しているおたふくかぜワクチンやロタウイルスワクチンに関しては、まだ定期化はされておりません。ちなみに、米国ではインフルエンザワクチンは定期接種となっております。
ワクチンの種類が増えると、接種する回数も多くなり乳幼児やその保護者への負担が増してしまいます。また、乳幼児はできるだけ早い時期に接種して免疫をつけ、多くの感染症に備える必要もあるのです。そのためには、同時接種の必要性がでてきます。日本では、同時接種は“医師の判断で可能”と黙認しておりますが、国が同時接種の明確な方向性を示しているわけではありません。そのため、病院によっては同時接種を認めていないところもあります。
一方で米国では米国疾病予防管理センター(CDC)の取り決めで、生後2か月の未熟児でも同じ日に6種類のワクチンを接種するのが慣例となっております。また、混合接種に関しても、日本では2012年に4種混合ワクチン(ジフテリア、百日咳、破傷風、ポリオ)が接種できるようになりましたが、欧米では4種混合にHibを加えた5種混合(米国)や、さらにB型肝炎を加えた6種混合(ドイツやフランス)を採用している国があります。
日本では過去にワクチンの筋肉内注射で太ももの前にあるひざを伸ばす作用を持っている筋肉がおかしくなり、ひざが曲がらないといといった症状(筋拘縮症)が疑われたため(現在では解熱薬や抗菌薬の使用が原因でワクチンとの関連は否定されております)、現在の法律では原則として皮下接種が奨励されております*。
しかし、海外では大腿部に筋肉内注射するのが一般的です。また不活化ワクチンはアジュバントを含んでいるものも多く、局所反応を軽くするために筋肉内注射が望まれています。さらに、同時接種を促進するためにも、接種部位の広い筋肉内注射は必要であるといわれています。日本でも、2011年に小児科学会が大腿部への接種を積極的にすすめる声明を出しており、行政による制度の見直しが望まれるところです。
他にも、日本では接種の規定や間隔、安全性への考え方に関して厳しく、他の国と比べてワクチンの接種率が低くなってしまっている現状があります。
*筋肉内注射に限定されているのは、ヒトパピローマウイルス、髄膜炎菌、高齢者の肺炎球菌ワクチンの3種類だけです。
ワクチン接種後に、免疫をつけるという本来の目的とは異なる好ましくない症状を“副反応”といいます。副反応の多くは接種部位の痛みや赤い腫れ、微熱であり、症状は1~3日程度でおさまりますが、まれに重篤な副反応が起こることもあります。
有害事象:接種後におこるすべての症状・事象で、ワクチンとの因果関係を問わない。
副反応:有害事象の中でワクチンとの因果関係が否定できないもの
生ワクチン、不活化ワクチンに関わらず、副反応には発症メカニズムに応じて一定のパターンがあります。例えば、ワクチンに含まれる成分による極めて短い時間のうちに現れるアレルギー症状(アナフィラキシー)は接種後30~60分後に皮膚や呼吸器症状が現れ、つぎに循環器症状がでます。この症状は手遅れになる前に適切な処置が必要です。同様にワクチン成分によるアレルギーとして全身の皮膚症状が接種後24時間前後に認められます。日本では昔、安定剤として含まれていたゼラチンに対するアレルギーが話題になりました。他にも、早期の免疫反応(自然免疫反応)は接種後1日以内に認められ、局所の発赤や腫れ・全身症状として発熱が現れます。また、生ワクチンはワクチンに含まれる病原体の増殖により各ワクチンによって症状の時期が異なりますが自然感染と同様の症状がでます。
日本では、万が一のワクチン健康被害に対して救済する制度があります。
定期接種の場合は、予防接種法に基づいて医療費が支払われる予防接種健康被害救済制度というものがあります。これは、予防接種によっておこったものでないと否定されない限り、補償を受けることができます。一方、任意接種は、医薬品医療機器総合機構(PMDA)が実施する医薬品副作用被害救済制度が適用されます。
ワクチンは病原体を弱毒化あるいは不活化して製剤にしているので、副反応が起こる可能性をゼロにすることはできません。だからといって接種しないのではなく、ワクチンを接種することで助かる効果と副反応による悪影響を天秤にかけてきちんと判断しなくてはなりません。医療従事者はワクチン接種について正しい説明をおこない、研究者はできる限りその頻度や程度を低くして安全な予防接種ができるよう開発していかなければなりません。行政に関わる関係者はまれながら一定の頻度で起こる副反応に対して十分な補償をする制度を構築していかなければならないのです。
定期接種の救済については、厚生労働省HPをご覧ください
厚生労働省HP(予防接種健康救済制度)はこちら
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou20/kenkouhigai_kyusai/
任意接種の救済については、医薬品医療機器総合機構(PMDA)HPをご覧ください。
PMDA HP(医薬品副作用被害救済制度)はこちら
http://www.pmda.go.jp/kenkouhigai_camp/index.html
現在使用されているワクチンは、皮下や筋肉内投与の注射による接種が主流です。
しかし、注射を用いたワクチンには、痛みを伴ったり医療従事者のみしかワクチン投与を行えないなどの問題点があります。痛みを伴うことは、子どもにとっては大きな問題ですし、大流行などの緊急を要する場合にはワクチン投与を医療従事者に限る現行のやり方では即時に広範囲でワクチン接種を行うことが難しくなります。そのため、痛みを伴わずかつ簡便に投与できるワクチン開発が望まれています。
例えば、まだ研究段階ですが経鼻、経口、経皮投与ワクチンがあります。経鼻や経口投与ワクチンはすでに使用されているものもありますが、現在より安全で効果的なワクチンができるように研究が進められています。これらのワクチンができれば、自分たちでワクチンを接種することができるようになるのかもしれません。
また、ワクチンはウイルスや細菌による感染症以外の病気にも使えるように応用が進んでおります。例えばがんやアルツハイマー、糖尿病や高血圧などの生活習慣病に対するワクチン、花粉や食物などのアレルギーに対するワクチンです。つまり、これまで感染症の予防として用いられてきたワクチンですが、今後はがんワクチンや生活習慣病ワクチンのように治療用のワクチンとしても用いられるのです。さらに何度も薬を飲んだり投与しなくてはいけない病気でもワクチンによってその回数を減らすことができるなど生活の質の向上としても期待されています。